甘樫丘から見た飛鳥寺





蘇我氏の氏寺として6世紀末から7世紀初頭にかけて造営されたもので、 明日香村豊浦の豊浦寺(尼寺。現在の向原寺がその後身)と並び日本最古の 本格的仏教寺院である。
587年蘇我馬子は物部守屋との戦いに際し、この戦いに勝利したら仏寺を建立する ことを誓って勝利したので、飛鳥の真神原の地に寺を建てることにしたという。 本尊は飛鳥大仏の通称で知られる銅造釈迦如来坐像(国の重要文化財)
現在の飛鳥寺は江戸時代の再建であり、当時は南北300m、東西200mの境内に 一塔三金堂の大伽藍であった。また、大陸伝来の礎石を使った頑丈なものであり、 築地塀は「版築」という強度を高めた塀であり、北側からの飛鳥の宮殿を守る役目を果たしていたと考えられる。
乙巳の変でもクーデター派は飛鳥寺に集結し城とした。
飛鳥寺のすぐ西側に「入鹿の首塚」がある。 乙巳の変で切り落とされた入鹿の首が、鎌足を追いかけてここまで来たという。



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