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夫である舒明天皇の死で即位した皇極天皇が営んだ宮の跡と伝わる。
この板蓋宮で、645年6月12日、乙巳の変が起こった。
有力な次期大王候補の聖徳太子の子 山背大兄王を滅ぼした入鹿は
蘇我の血を引く古人大兄を推していた。
皇極女帝の同母弟、軽皇子を推す中臣鎌足(藤原氏の始祖)や中大兄、
石川麻呂が共謀して、皇極の目前で蘇我入鹿を斬殺した。
板葺宮を出たクーデター派は、飛鳥川をはさんで甘樫丘と対峙する蘇我氏の
氏寺である飛鳥寺を占拠し、陣を構えた。
古人大兄は一旦屋敷に逃げ帰ったが、飛鳥寺に投降し出家させられる。
(その3ヵ月後に妻子もろとも殺害)
翌13日、入鹿の父蝦夷は甘樫丘の舘に火を放って自殺し、
ここに興盛を誇った蘇我本宗家は滅びた。(いくら入鹿の屍を送りつけられたからといって
蝦夷が戦わずして自殺するのが納得いかないが)
14日、皇極は生前譲位し、軽皇子が即位した。(孝徳天皇)
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