談山神社





談山神社は、明日香の東側山麓の多武峰(とうのみね)にある神社。中臣鎌足を祭る。
長男で僧の定恵が摂津の阿武山から父の墓を移し、多武峰寺として十三重塔を造立したのが発祥である。 鎌足は隋・唐に留学していた南淵請安が塾を開くとそこで儒教を学び、入鹿とともに秀才だったという。 密かに蘇我打倒の意志を固め、初めは軽皇子に近づき、後に中大兄皇子に接近した。 法興寺(飛鳥寺)の蹴鞠の会で中大兄の脱げた靴を拾って出会い、密会を重ねたという。 また、蘇我一族内部の対立に乗じて、蘇我倉山田石川麻呂を味方に引き入れた。 鎌足の死の直前、大化の改新の功により天智(中大兄)より「藤」氏を賜り筆頭名門氏族となる。 このとき、鎌足の屋敷に雷が落ちたという。
阿武山古墳からはミイラ化した遺骨が発見されている。被葬者のレントゲン写真から腰椎骨折で下半身不随になり、 数ヶ月の療養後に合併症で死亡していた。身長は164.6cm、毛髪からは砒素が検出され、骨太で頑強な体格だった。 (鎌足は落馬により死亡したとされている)
談山の由来は多武峰で中大兄と談合を繰り返したという「談い山(かたらいやま)」から。 談山神社では、故事にちなみ春と秋に蹴鞠の祭りが行われる。蹴鞠のマリが入鹿の首に思えて仕方がない。
2007年12月1日



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