倉橋溜池のタカ渡り



  1. 倉橋溜池(竜吟鏡)

    奈良県桜井市倉橋にある倉橋溜池は農業水用の人工池で、 別名「竜吟鏡」とも呼ばれる奈良県下最大のため池です。 ため池とはいえ周囲は約4kmもあり、最近、周辺を公園化しようと 工事が始められています。
    太平洋戦争をはさんだ為、工事は18年の歳月を要して昭和23年に漸く完成し、 長い工事期間中には犠牲者も出て慰霊塔が脇に建っています。

    溜池北端の堤防から北を眺めると、向かいの山が"朝倉富士"と呼ばれる外鎌山(標高300m)、 溜池の東には標高1000m弱の山々(音羽三山)が連なっており、 上空は視界を遮るものの何もない観察に良好な場所です。

    ここ倉橋の地は、第三十二代崇峻(すしゅん)天皇の都で、 倉橋柴垣宮(くらはしのしばがきのみや)でした。 崇峻天皇は、物部(もののべ)を滅ぼした蘇我馬子の傀儡であったにもかかわらず、 馬子の専横を憎みこれを倒そうとして、反対に暗殺されました(592年)。 その後、女帝推古天皇と聖徳太子の世となります。

    また、溜池の東に位置する音羽山(倉橋山)は古事記で、 速総別王(はやふさわけノおおきみ)と女鳥王(めどりノおおきみ)が手を取り合って 逃げ込んだ山というような古の地です。

    倉橋の山を高みか夜隠(よごもり)に
      出で来る月の光り乏(とも)しき  
    万葉集 3−290 

    堤防からの風景
    観察風景
    倉橋溜池の野鳥 / 野草 / 昆虫

  2. 定点調査のきっかけ

    まだほとんど何もわかっていない奈良県内の春の渡りについて調べるため、 数年前から調査を実施してきました。
    奈良の中西部、中央構造線沿いの五条市、西吉野村まではまとまった数が確認されています。 しかしその後、構造線に沿って吉野に行くのか、または北寄りに進路を取り大和高原に 向かうのか、よくわかりません。
    2003年の春は「鳥見山・榛原」を定点に据え、大和高原の南端沿いに三重に入るコースを 考えましたが、主なコースとは言えないようです。
    よって、2004年からは大和高原の西南端に位置し、音羽三山の北西の麓にある倉橋を定点とし、 ここで西吉野村の群を迎え撃つことにしました。

    倉橋溜池近辺の位置関係
    西吉野上空から見た倉橋溜池方面の鷹瞰図

  3. 観察記録

    2004年春季速報
    2005年春季速報
    2006年春季速報
    2007年春季速報


ホームに戻る